お蚕様とぶーちゃん

昔は養蚕農家であったじーじの家。
家屋も独特の作りで、高窓と呼ばれる換気用の窓がある築100年は超えるであろう古民家。現在は、4人も子供がいたので、改築に次ぐ改築を経て今にも倒れそうな状態(詳しくは別の機会に)。

2号が小学生の頃は、近所でも養蚕を続けていた家が数件あり然程珍しいと思った事も無かったのだが、中学生にあがる頃にはパタリと無くなった。時代の流れは速く、本当にあっという間の事だったように思う。

養蚕農家があった頃は、周囲は桑畑も沢山あり耕運機で桑の葉を運んでいる光景も良く目にしたし、桑畑の側を歩く時には桑の実(通称ドドメ)を良く摘まんで食べた。

当時の養蚕農家は屋内で幼虫を飼育していたらしい。ばあばは、今でも蚕の事を「お蚕様」と呼ぶ。大ばあば(じーじの母)もそう呼んでいた覚えがある。「お蚕様が始まると大変で、温度管理やら気を遣うし、台から落ちたお蚕様を拾って歩くんで夜も寝られやしねーんだから。」とよく聞かされた。

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しかも、屋内で気の遠くなる数の幼虫を飼育していると桑の葉を食べる音すらも大きく聞こえてきたのだそう。確かに、子供の頃に2階にあがると繭玉が落ちていたり、養蚕や糸を紡ぐ為の道具であろう物が散見された。

養蚕農家の2階は養蚕の為だけのスペースだったのだと思う。外壁以外に壁は無く、70畳以上のスペースには柱しかないような板の間で、改築して洋室を2階に作るまでは完全にただの物置と化していた。

平成から令和へと変わった年、じーじとばあばは養豚を廃業した。
自身は手伝い以上の事をした訳では無いが、嫁・子供や知り合いに、時々養豚農家の話をする。以前の記事に書いた「金抜き」の話や、出産を手伝った時の話などである。

時に実家の片隅で、養蚕農家時代の用具であろうものを目にすると、私が大ばあばの話を思い出す。同じように今から長い時間を経て2-1号が親となる頃、おとうちゃんの実家が養豚農家であった事を思い出す事があるのだろうかと考えると不思議な心境である。