昭和の農家は家長の一存で全てが決まっていたという。
うん・・・思い起こしてみれば、ぶーちゃんばあばの家でも同じ不文律が存在していた。要は、じーじがルールという状況である。
月日は流れたが、今でもじーじとばあばの関係はそう変わらない。作業の方法や収穫した野菜の出荷時等にばあばとじーじの意見が分かれた際には、基本的にじーじ案が尊重される関係である。野菜の出荷では、規格サイズに合わせた梱包が求められ、重量測定や梱包方法にも決まりがある。そこで、作業者である農家は各家でそのやり方に工夫を凝らしているのである。
ちなみに、2号は製造に関わる業種であるので、日本が誇るモノ作りの基礎知識的なものも見聞きする。それはトヨタ生産方式や品質管理等であり、具体的に言えば各作業者が仕事をする際のルールとなる標準作業などにも触れる機会がある。ところが、ぶーちゃんばあばの家で行われる作業には、納得のいかない事が多すぎるのだ(笑)。
農業の仕事でも、収穫が済んだ野菜を出荷するまでの工程は、基本的に流れ作業である。傷や虫食い等を見つける外観検査、大きさ等を振り分ける規格検査、梱包、出荷。日本の製造業は、大量生産の中でも高品質の物を作り続ける事が出来るその仕組みが大きな武器の一つと理解しているのだが、そのためには標準作業化と不具合対応が重要で、その出来次第で効率も歩留まりも大きく左右される事は言うまでもない。なので標準作業という言葉は絶対であり最初に教えられる。だからこそ、経験の浅い新入社員が量産工程でプロとして活躍できるのである。
それに引き換え、この職場はどうだろう。
基本的に、手を動かしている時には口も動く(無駄話)、農協などで指定された規格はあるが、作業方法はやってみてから考える(非定常作業の連続)。当然、その方法を記録に残す事もないので、次のシーズンが来た時には思い出す事から始めるし、場合によっては作業のコツすら忘れる(技術継承の断裂)。世界に名だたる日本企業が口を揃えて提唱する標準作業や効率化など、どこ吹く風という状態である。
まぁいい。それが、自分達の中でのみ行われる行為であれば・・・だ。しかし、週一程度で応援に行く2号の立場からみれば全く納得がいかないのである。新しい作業を行う場合や判断に迷う製品(野菜)が出現する度に、手を止めてお伺いを立てる事となる。そして、その度に理解するのに時間を有するような返答を頂く。
2号:これ(ブロッコリー)、茎はどの位の長さで切ればいいの?
ばあば:ほれ、じいさんが作った押切機のこのラインの所で切れば良いんだよ。
じーじ:まぁ、そこのラインに合わせて切ろうとすっと切りにきーんだよな。ちっとんべくれぇ長くてもかまやしねーから、こっちにおっつけて切れば切りやしーだんべ(訳:少しくらい長くても構わないから、ここに押しあてて切れば切りやすいと思うよ)
2号:つーーか、規格はどうなんよ?
じーじ&ばあば:どっちでも大丈夫だから。
2号:んな訳あるかい!
要は、茎の長さは規格に大きく影響されないが、あまり短くすると出荷時に箱の中で遊びのスペースが出来て、動いてしまう事で野菜が傷む。その為、長さを揃える必要はあるが、長く切った場合には箱詰めの際にばあばがもう一度切りそろえるので大丈夫という事らしい。非常に非効率的である(笑)。ちなみに、ブロッコリーは花の部分の大きさでサイズ分けされ、形の整い具合で規格内・規格外を別けている。
箱入りで出荷する野菜でさえこの調子なので、直売所の店頭に並べる野菜に関しては日替わりで指示が変わる。何故なら、直売所の野菜は値段そものもが大枠での幅のみで、あとは生産農家の値付け次第なのである。単位も、一個づつ袋詰めしている物もあれば、2~3個を袋に入れる場合もある。出荷数も前日の売れ行きをみて二人が相談して決めるので全く決まらない。
作業者である私は、内容が決定するまで手待ち時間となり周辺の5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾で製造業の基本である) 等をする事になるのだが、早く作業を終えて自分の遊びをしたいという欲求に負けて声を荒げてしまうのである。
「人に作業を依頼するなら、作業位事前に標準化してくれよ」と。そして言いながらも、この人達には標準作業という概念は芽生えないだろうと諦めるのである。